当日は、朝起きるとまだ日の出前で、ベットから出るとひんやり感が強く
これから寒くなっていくんだなあと、秋の深まりを感じる一日でした。
家を出る6時頃には、日は出ていましたが、風が冷たく感じられ、手袋をして、自宅から駅まで自転車で行きました。
最高裁についたのは、いつものように、8時15分頃、
偶数月の10月は、「命と健康を守る東京センター」主催で、労災関係者のみの参加となります。
そのため、奇数月に行われる「国民救援会」主催の最高裁要請と比べ、訴える事件も少なく、ビラを配る人数も少なめです。
私は、今回もマイクパフォーマンスをしました。
街頭でのマイクパフォーマンスも4回目です。マイクパフォーマンスもだいぶ慣れてきたような気がするのですが、どうでしょう。
前回は、訴える事件が多かったため、短めにお願いしますと言われ、焦った感じで終わらせてしまいましたが、今回は時間を気にする必要が無く、落ち着いて発言が出来またした。人数が少ないなりに、なにかいいことはあるもんです。
マイクで訴える私です。

10時からは最高裁の中に入り、書記官を囲んで一人づつ発言が行われました。
ここから「布留川裁判」の当事者の方が加わり、3事件9人の参加でした。
重光裁判支える会からは、3名の参加となりました(兼任者含む)。
最高裁の書記官要請では、私は、私の裁判がいろいろなところで注目を浴びていることを訴えるため、毎回、私の裁判を取り上げている資料を用意して、提出しています。
今回、社会保険労務士さんのホームページに載っていた、私の判例とメンタルへルスの重要性が書かれたPDF資料を印刷して用意したところ、支援者の方に、これでは、作者も出典先もわからないと指摘を受けてしまいました。
そうか、それはそうだった、この印刷物には作者が書いてないからこの資料だけでは誰が書いたかわからない。作者が載ってるホームページ自体の印刷も必要でした。
しまった、別の資料も持ってくればよかった・・・と思いつつもしかたがない。
今回は、資料の提出は止めて発言だけにし、最高裁の要請行動としました。

過労事件関係者の皆さんと、最高裁正門前で
「ニコン・アテスト派遣自殺者 上段さん支える会」
「布留川・保険外交員頸肩腕傷害事件」原告と支援者
さて、「マツヤデンキ障害者過労死裁判会」の裁判が7月に国の上告が棄却され、原告勝訴が確定したのに続き、10月末に「ニコン・アテスト派遣自殺者」の会社側の上告が棄却され、原告側の勝訴が確定しました

「ニコン・アテスト派遣自殺者 上段さん支える会」の方たちは、今回は最高裁へのお礼に現れていました。
過労死関連の裁判が、2件最高裁での原告の勝訴が確定し、私も続きたいところですが、
私の場合は、上告受理してもらわければいけないため、若干(というよりかなり)苦しいところですが、労働者の権利を主張すべく、今後もできるだけのことはしていきたいと思っています。
帰りは、いつものように、乗り換え駅の有楽町(銀座)でランチをし、ちょっとお買い物。
銀座でのランチが以前よりおいしく感じる。最高裁要請を始めた頃よりやっぱり体調は良くなってる。そう思いながら帰途に着いたのでした。
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