もともと、最初に退寮期限がきた時(32歳で深谷工場に転勤してきたので、退寮期限は2001年の1月、34歳のとき)、寮を出ようと思ってたんですよね。
そのときは、休職する原因となった「M2ライン立上げPJ業務」で激務の真っ只中で、それから8ヵ月後に休職、そして地獄の様な療養生活が始まってしまったので、引越しせずそのまま寮にいてしまったのですが。
解雇のときは、解雇通知と共に退寮通知がきましたが「でる理由が無い」と思い居つづけました。
会社はやはり甘くなく、嫌がらせがありましたが・・・(これが本当に大変でした)
あれから5年。
今回退寮通知がきて、解雇されていなくても寮にいる資格が無い、裁判しながら引越しできるのか、お金や病気の悪化は大丈夫か、と言う思いで、精神状態が不安定になったのですが・・・
それに加えて、5年前は、「退寮する事」は別にたいした事ではなかったのに、今は退寮する事が経済的・肉体的・精神的に私にとっては非常に困難な事になってしまっている・・・
なぜこうなってしまったのか・・・いったいいつ治るのか、健康な生活がいつできるようになるのか・・・と考え始めたら、自分でも制御ができないままどんどん気分が沈んでしまって、今の自分の境遇がひどくかわいそうに感じてきました。うつ病なものでこうなるとやはり制御できません。
当時は34歳、そろそろ結婚もしなくては、とも考えていました。
まさかそれからすぐに病気になり、4年寝たきりの療養生活状態になるとは思いませんでした。
このままでは一般的な結婚生活など当分望めそうになく・・・
激務のM2ライン立上げPJが始まり休職するまでたかが9ヶ月、その間に私の人生は大きく変わってしまった。なぜこうなったのか、この先どうしたらいいのか。そう考えてくると、涙がぽろぽろこぼれて、止まらなくなりました.
いまさらながらに健康の大切さを身にしみて感じました。
療養生活が始まって、沈むときはやはりどうしても沈んでしまいます。不安に耐えられなくて泣く事もあり、そうなるともうどうしようもない。特にうつ病だと敏感に対応してしまう。
何かを恨んでも仕方がが無いのだけど、いくら頑張っても前向きに考えられないときもある。悲しくて泣けて仕方ないこともある。
そういう時は、時が解決するのを待つしかないですね・・・
休職して寝たきりで何もできなかった(激痛との闘いの時期もありました)4年間の空白や、今後もいつまで寝たきりの障害者として生きなくてはいけないか、そういう不安と闘わなくてはならない。
でも経済的な安定ぐらいは会社は補償して欲しい、早く誠意ある対応をして欲しい。
それが体調不調を訴えてもそれでも無理に働かせて休職に追い込んだ会社の取るべき対応だと思います。
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