今回も、浜松町の本社ビル39階の会議室で
「東芝本社 人事総務部 労働企画部 労働企画担当」
A主務一人が対応しました。
会社復帰のための事務手続き(解雇されていた間の年金の清算等々)は、今回で、大体終わり、あとは、従業員証が発行されるのを待つくらい、となりました。
さて、和解決裂の原因となった、肝心の、復帰場所や処遇についてですが、今回は進展しました。
まず、復帰場所が「川崎市にある、とある部署」と東芝から言われました。
(具体的な部署名は、所属の社員に私が復帰をすることを説明するまで公開しないでほしい、と言われたので今回は伏せてあります)
復帰場所については、和解時より、一貫して、
「会社や仕事に対しては強いトラウマがあるので、会社への復帰は相当難しい、なるべく復帰しやすい場所を」と、会社にはお願いしてきました。
発症の根源でありトラウマが強い深谷工場への復帰は不可能に近く、主治医には全く異なる勤務地を進められていた事に加え、東芝深谷工場が閉鎖となるため、会社復帰時には転勤をすることになります。
しかし、住む環境も、主治医も変わり、さらにトラウマの強い会社へ復帰することは、非常に困難なため、当面は、引っ越しをせず、今の主治医の診察を受けながら、新しい部署に通う(リハビリ勤務)事になります。
そのため、深谷から通いやすい事業所にして欲しい、
具体的には、今住んでいる処から一番近い事業所の、本社が勤務地として好ましい、と、会社にお願いをしてきました。
会社は、和解時から、川崎の研究所を復帰先に指定しました。技術者での復帰はもはや無理なのに、元の仕事を連想する事業所を復帰先に指定するのは、嫌がらせに感じていました。
しかも、川崎は本社より遠方。まあ、本社でも、深谷からは1時間40分位かかるので遠方ですが、川崎の勤務先だと、2時間10分くらいかかり、往復するのも大変です。
裁判終了後の東芝との話し合いでは、本社になりそうな雰囲気だったんですけどね。
和解時と同じ復帰場所を言ってくるんだったら、早く決めてくれれば良かったのに、毎回引き延ばしのような対応は何だったんでしょうねー。
東芝にとっては、私の勤務先が、本社だろうが、川崎の某研究所だろうが、大して変わらないと思いますが、私にとっては、トラウマの克服・病気回復、職場復帰の可否にもかかわる、非常に重要な問題です。
今回の勤務先の決定は、裁判では完敗したけど、組織ではこちらが上だし、人事権はこちらにあるんだぞ、という主張の表れでしょうか。
いつまでも敗訴を認めようとしない、東芝上部のセコさを感じます。
しかしまあ、東芝復帰後の話し合いから7カ月が経過し、ようやく、勤務地は決まりました。
次回は、東芝本社に出社し、産業医や、新しい復帰先の責任者との面接の日程決め等々に進むことになりました。
私を病気にしたことや不当解雇したことに対して、相変わらず東芝から私への謝罪や誠意は感じず、復帰先も最適な場所とは思えませんが、まあ、復帰場所が決まり、次の段階に進むことになり、良かった。
続いて、復帰時の待遇(昇級や年収等々)について会社からの回答ですが
長いので続く
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