その報告です。
今回も、
「東芝本社 人事総務部 労働企画部 労働企画担当」
A主務一人が対応し、
浜松町の本社ビル39階の会議室で話し合いとなりました。
事務手続きには、進展があり、東芝健康保険組合の保険証が発行されました。
私が市役所に国民健康保険との切り替えの手続きに行けば、保険証は使えます。
年金の清算も、2週間後に書類が私の手元に届くようです。
事務手続きは、少しずつ進んでいます。
さて、和解決裂の原因となった、肝心の、復帰場所や処遇についてですが、
和解からの東芝の徹底抗戦が今も続いているんだなあ、ということがわかる対応でした。
復帰場所・業務については、私は、裁判終了後、
「復帰場所や業務は、『会社が和解時に提案していた、研究所(川崎)の事務職』でかまわない、早く勤務地を決めて欲しい、リハビリ勤務等に進みたい、早く会社復帰したい」
と会社に伝えていましたが、前回も復帰場所等々は決まらず、
今回の東芝の回答は
「働けるという医者の診断書が必要、それがないと所属や復帰場所は決められない」でした。
あのー、会社への強い恐怖心があり働けない今の状態では、「働けるという医者の診断書」は、出てくる訳がないし、、会社への恐怖心を克服するためにも、会社へのリハビリ勤務が必要だ、引っ越しもしないといけないのだから、早く復帰場所を決めてほしい、先に進みたい、と毎度言っているんですけどー
そもそも、和解時の会社提案の復帰場所や仕事内容でいい、と言っているのに、なぜ、今更、
「働けるという診断書」がないと復帰場所が決められない、という回答がくるのでしょう。
和解時も、技術職が無理だと言っている私に、復帰場所に研究所を指定してくるのは嫌がらせとしか思えませんでしたが、
私が、「和解時の東芝提案の復帰場所・仕事でいいです、会社への恐怖心を克服するためのリハビリ勤務を早くしたい、そのための机を用意してほしい」、と言うと、今度は、
「働けるという診断書がないと机は用意できない」と言うんですね、
まだまだ嫌がらせの繰り返しですかー?
このままでは、東芝社員として身分は回復しても、出社場所も所属もなく、机も無し、ということになりそうです。
続いて、復帰時の私の賃金・処遇についてですが、
私の要求が通らないのなら、団体交渉で話を進めたいと伝えてありましたが、
東芝側「傷病手当は、4割を支払うことについては結論が出そうです」
と回答が。
私 「・・・・?
労災以外に手当4割を支払う事は、判決で決まっている当然の事、
和解では、会社も昇級を考慮した案を提出していたでしょ、なんで4割支払いとかに話が戻るんですか? 」
賠償金4割が、とか和解時より後退してるんですけどー。
東芝側は話し合いを進める気全く無いってこと?引き延ばしですか?
差し戻し審の判決は、東芝の和解での不誠実な対応が盛り込まれ、原告全面勝訴の画期的な判決でしたが、
東芝にとっては、判決で全面敗訴しようが、和解決裂なんだから、私への徹底抗戦をまだ続ける、ということなのでしょう。
A主務(係長クラス)、決定権のない人物との話し合いでは、東芝への復帰作業は堂々巡りで進まないようなので、
「次回進展がない場合は、団体交渉をするとみなして、団体交渉へ進めたい」、と、A主務に話をしました。
東芝への復職は、勤務地さえ決まらず、まだまだ時間がかかりそうです。
まあしかし、体調も随分と回復してきました。
今後も、妥協することなく、焦らずじっくり東芝への復職に取り組んでいきたいと思います。
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